モチベーショングラフの作り方 ―OfferBox運営会社 株式会社i-plug代表取締役CEO「中野智哉」の場合―

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自己分析をより確かなものにし、説得力のある自己PRを作るために欠かせない「モチベーショングラフ」。
以前就活コラムにて、自己分析をより深く確かなものにするのであれば、モチベーショングラフを作る必要があることをお伝えしました。

 

しかし、いざ作り始めてみても「今の自分を形成した『過去の自分』」というものは、自分では見つけにくいものです。
そこで今回は、OfferBoxを運営する 株式会社i-plugの代表取締役CEO「中野智哉」にインタビューを実施。幼少期の経験や影響を与えたことなど、経営者となるまでにどういった経験をしたのかを聞いてみました。

 

きっかけやルーツは人それぞれですが、他の人がどのような経験をしてきたのかを見ることで、新たに気づくこともあるでしょう。
今回のインタビューを、皆さんのモチベーショングラフ作成のヒントとして役立ててみてください。

略歴

中野智哉(なかの・ともや)/1978年兵庫県生まれ。 2001年中京大学経営学部経営学科卒業。2012年グロービス経営大学院大学経営研究科経営専攻修了(MBA)。

株式会社インテリジェンス(現パーソルグループ)で10年間求人広告市場で法人営業を経験。 2012年4月18日に株式会社i-plugを設立し、代表取締役CEOに就任。

プロフィール

◆家族構成は…

妻と子供2人の4人家族です。

 

◆趣味は…

学生時代からテニスを続けています。2年くらい前から社長仲間の影響で釣りを始めました。
海釣りが多めで、宮古島によく行きます。

 

◆嗜好品(お酒・タバコなど)は…

お酒は大好きですね!毎日飲んでます。
以前は居酒屋に行ってばかりでしたが、最近はWeb飲み会が増えました。

タバコは吸いません! でも、他の人が吸ってるのは気にならないですね。

 

◆座右の銘は…

「生涯前向き」ですかね。 

5、6歳の時に両親から「好奇心」と「愛嬌」が大事と教わり、子供ながらに「ワクワクする事」「ニコニコする事」だと理解しました。
極端かもしれませんが、常に前向きな発想を持つようにすれば、「ワクワク」と「ニコニコ」が続くと思うんですよね。そういった考えから、大学生くらいの時に「生涯前向き」でいようと決めました。

 

◆仕事やプライベートでのこだわりは…

仕事では、サラリーマン時代から常に「お客様のために何が出来るか」を考えています。
プライベートのこだわりは、ありません(笑)。ただ、常に面白いことをしていたいとは思います。

 

幼少期は田舎暮らしでマイペースな性格。周囲は起業家が多かった

幼少期(小学生くらいまで)の家庭環境を教えてください。

出身は兵庫県揖保郡(現:たつの市)。山と畑に囲まれ、信号もないくらいのんびりした場所です。小学校の頃は信号の渡り方を教えてもらってました。
5人家族で、兄弟は3人。兄と妹がいます。兄や隣の家に住んでいた従妹と集まって遊んだりしていました。

 

将来の夢はありましたか?

幼いころから「起業する」ということに対して、漠然とした憧れみたいなものは持っていました。
周りは小さなお店を営んでいる人や事業を興している人が多く、幼いころから「経営者」や「起業家」と言われる人と触れ合う機会がありました。
そんな環境に大きく影響を受けたのだと思います。

 

どんな家庭環境でしたか?

私の親は、わりと放任主義というか、「○○しなさい!」というタイプではありませんでした。
唯一教えられたのは
「何にでも好奇心を持つこと」「愛想よくふるまうこと」の重要性。
幼いころからマイペースな性格で反抗期も無く過ごしていましたが、その2つは今も大切にしています。
自分を構成する基盤の一つといえるかもしれません。

 

学生時代は「文系科目が大の苦手」。とにかく楽しいことに全力で打ち込んだ

学生時代、好きな科目はありましたか?

数学と理科が好きでした。その2教科に関しては凄く真面目に授業を受け、文系科目の授業はほとんど聞いてないという有様でした。
理系科目では、とにかく記号を書くのが楽しかったですね。
今思うと、「楽しいことには徹底的に取り組む姿勢」がその時点で形成されてたような気がします。

その傾向がさらに強くなっていったのは高校入学後。
定期考査の結果が、数学は100点なのに国語は10点…正常な偏差値が測れない程に、偏りが生まれました(笑)。

 

部活動は何をしていましたか?

高校ではテニス部に所属していました。テニスが大好きで、とにかく全力で打ち込んだことを覚えています。
高校に通う理由はもはや、「数学とテニス」のためでした。

 

高校卒業後の進学先はどう決められたのですか?

僕が大学受験をした年が「得意教科受験(高得点科目重視型受験)」という、高得点の科目の点数が2倍になる受験システムが採用された年でして、新しい大学では積極的にこのシステムを採用していたんです。

数学しか武器がない僕にとっては福音であり、10校ほどを受験しました。
結果、第一志望の大学に行くことはできませんでしたが、愛知県にある中京大学経済学部に無事入学しました。

 

「楽しいことに全力で臨む姿勢」は大学入学後も変わらず。単位がなく、就活はほぼ出来なかった

ここからは大学時代についてお聞きします。経営学部での勉強で印象に残っていることはありますか?

実を言うと、高校に引き続き、大学に入学してからもほとんど勉強に重きをおいていませんでした。
「経営学部なので経営のことだけを勉強できる!」と思っていたのですが、必修科目には一般教養や外国語の単位が組まれていたんですね。
それらの授業がとにかく苦しかった思い出があります。

3年生の終わりくらいまでは、単位そっちのけでテニス(サークル)・バイト・麻雀をとにかく全力でやっているような状態。気がつくと、卒業できるか否かの瀬戸際でした。今思えば、典型的な「だらしない大学生」を体現していたように思います。

一方で、テニスに関してはかなり本気で取り組み、ハードな運動が続いて、大ケガをしたこともありました。それでも「楽しいことに全力で取り組む姿勢」は変わらずでしたね。

 

大学生活の中で印象に残っていることや、現在に活かされている学びはありますか?

人生で初めて一人暮らしをしたことは、強く印象に残ってます。
何も知らない状態で、これまでの暮らしとは全く違う「都会」という環境。友達に一人暮らしのアドバイスをもらいながら生活する感覚が新鮮でした。

アドバイスに関するエピソードで言うと、実は大学生まで「足の裏を洗う」事を知りませんでした。それも友達に教えてもらいましたね…。足の裏を洗うようになってから足は臭くなくなりました(笑)。
また、地元には存在しなかった「コンビニ」が生活圏内にあることにも感動しました(笑)。

 

次に印象に残っているのは、テニスサークルでの経験です。
真面目にテニスをしているサークルだったので、「
テニスサークルに来る目的とは何か?」という議題で仲間内でぶつかり合うことも何度かありました。

例えば「テニスが上達することで楽しくなる、だからテニスサークルだ」という意見と、「テニスだけじゃなく色々と楽しいことをやれば良い」という意見で衝突したり、人が持つ多様な価値観にどう折り合いを付けるかで苦労しました。

自分たちで組織を運営する経験は、それが初めてのこと。本気で人と向き合うことで「話し合いながら目的を明確にしていくということの難しさ」を学びました。

さらに、バイトの経験では自分の向き、不向きを知りました。居酒屋などの接客業に就いていましたが、「接客は天職だ!」と思えるくらい、仕事でお客様と接することは苦になりませんでした。

居酒屋のほかには、テニスのアシスタントコーチを少し経験しました。これまで自分がやってきた部活動やサークルはあくまでも自分が上達するため。
教える相手は小学生ですが、自分の技術を言葉にして伝えることが如何に難しい事かを痛感しました。

挫折して辞めてしまったので、最後までやりきれなかったことを今でも後悔してます。

 

大学では卒業も危うかったということですが、就活期間はどのように過ごされましたか?

結論から言うと、就活はほとんどしてません。
前出の通り、卒業に必要な単位すら取得できていなかったので……。

僕が通ってた大学は、4年生になると取得できる単位に上限がなくなるというシステムでした。
そのため、卒業のための単位を取ることだけに時間を費やしていました。

何とか単位をとって卒業したあと、実家に帰って新聞の折り込み求人から応募したのが初めての就活でした。

 

初就職するも数年で退職。その後、人生最大の転機が訪れる

初めて就職した企業ではどのようなことをしていましたか?

就職先では、営業を担当することになりました。
客先を車で回るのが主な業務でしたが、働き始めて数年たったある時「これは自分のやりたいこととは違うな」と感じる出来事があり退職。

退職後は、10ヵ月程ニートとなりました。ニート生活のなかでも時々テニスを続けていたなかで、転機が訪れました。
自分よりかなり年上の人と試合をして、ものの見事に敗北したんですよ。悔しさのあまり、30分くらいその場に立ち尽くすほどでした。
負けた衝撃と悔しさとでいっぱいの脳によぎるのは、物騒な考えばかり。そのなかでふと、「痩せる」という考えが降りてきました。

 

高校時代から肥満体型だった僕にとって結果が出るのはかなり早く、見た目が変わると周りが褒めてくれるようになりました。
痩せるにつれて、自分の周りにいる人の反応も変化が見れました。

大学時代のテニスサークル運営の時も、周囲に対して「なんで変わらないんだ」と思うこともありましたが、ダイエットをきっかけに、「自分が変わると周りの人や環境も変わっていくんだ」「現状に不満を感じるのであれば、自分が変わればいい」と思ったことで、その後の価値観や人生は大きく変わったように思います。

その後、真面目に就活をしようと思い立ち、営業職をメインに40社ほど面接を受けて求人広告事業を営む企業に入社しました。

 

求人広告市場での10年間で、どこかやり切った感覚を覚える

求人広告市場での仕事を通して印象に残ったことなどはありますか?

入社したての頃は全然仕事が出来なくて、先輩や同僚の力を借りながら何とか続けられているような状態でした。
入社して2〜3年程経って一人前になった頃、会社がインテリジェンス(現:パーソルキャリア)に買収されました。突然上場企業の社員になったんです。

その後、待遇や働き方も一変してがむしゃらに働いていた中、大阪へ異動することに。
その部署は、これまで所属していた部署では考えられないような売り上げを出す、優秀な人が集まる部署でした。
周囲からは「出世コース」とも言われ、他の人たちに負けないよう必死に働きました。

インテリジェンスでは、DNA賞という仕事に対する姿勢を周りの社員から評価され選ばれる表彰制度がありました。
その表彰を受けたとき、心のどこかでやり切った感覚を覚えたことを記憶しています。

 

そんな中、「リーマンショック」が世界経済を襲いました。
その煽りを受けて、これまでのように遅くまで残業することが難しくなったんです。

最初は居酒屋に行ってひたすらお酒を飲んでたんですけど、「このままじゃ良くないな」と思いたち、「グロービス経営大学院」を発見。
この状況だからこそ、経営やマーケティングについて改めて学ぶ機会にしようと、入学しました。

 

グロービス経営大学院で経営戦略やマーケティングを学び、仲間と起業の勉強会などがきっかけで起業を決意

グロービス経営大学院に入学する以前から「起業」は一つの目標としてあったのでしょうか?

起業への漠然とした憧れは幼少期から抱いていましたが、実現に向けての努力はしていませんでした。
「起業すること」が明確な目標になったのは、グロービス経営大学院に入学する前後だったと思います。

 

グロービス経営大学院で印象に残っていることはありますか?

努力家ばかりいることに驚きました。部長や課長といった役職の人が多く、そこまで出世してもなお、まだ勉強するのか、と(笑)。
人柄も良い人ばかりで、それまで僕の中にあった「部長像・課長像」みたいなものがいい意味でひっくり返ったのもこのときです。

2年間で「マーケティング・経営戦略・会計・人材マネジメント」など、経営の基本を学び、また、志を共にする仲間と出会えました。
共に起業の勉強会などをしていたのも、良い思い出です。

「グロービスでの学びや、起業の勉強会が無ければ起業してなかった」と思うくらい、大きなきっかけをもらいました。

 

中でも印象的な事は、起業の勉強会を通して「失敗が目に見えているようなことでも、何度も繰り返し挑戦することでやがて失敗ではなくなる」と思えるようになったことです。
何度もビジネスプランを作っては失敗を繰り返して、その中で挑戦することが当たり前のことになり、「起業する」という目標がより現実味を帯びていったのだと思います。

 

やがて、グロービスで出会った山田、田中と共に会社を設立。株式会社i-plugが生まれたのは、2012年のことでした。

 

「株式会社i-plug」を設立。ギリギリの経営でも、めげなかった

起業したあと、心が折れそうになったことや苦労した経験はありますか?

一時期は自分の貯金からもお金出すなど極限状態の中で経営していた頃もありました。
しかし、「OfferBoxは絶対成長する」という確信めいたものがあったので、「辛い」とか「心が折れそう」と思ったことはありません。

 

OfferBoxを立ち上げてからの8年間はいかがでしたか?

失敗の連続でしたが、何とか成長できたと思います。
新卒に特化したオファー型採用サービス「OfferBox」は、就活市場全体が今までにないくらいの追い風を受けていたように思います。

例えば、サービスを開始した2012年以降、就活解禁のタイミングが大きく変わり、2013年には東京オリンピックの開催が決定しました。
その後もアベノミクスなどの影響で、経済が回復基調をたどったことも後押しとなりました。

今では就活生の3人に1人が登録し、登録企業も大手企業を含めて6400社以上。非常にありがたい限りです。
ここまで支持されると思っていなかったので、私自身も驚いています。

 

OfferBox立ち上げ当初の目標とは何ですか?

「大学生の就活環境を良くしたい」「自分の子供が就活をするときに使えるほど良いサービスにしたい」という目標を持って運営しています。
僕の子供はもっと先の話になるんですが、最近では知り合いの子供が「OfferBoxを使って内定もらえた」という話を度々聞くので、とても嬉しく思いますね。

 

会社として、また個人として今後の目標などはありますか?

まず会社としては、就活という人生における一大イベントを通して、世の中が明るくなったら良いなと思っています。
個人での目標は、特に考えたことがなかったですね。人生最後の瞬間まで、笑って過ごせたらいいなと思います。

 

就活を控えた学生へのメッセージ「人はどんどん変化し、成長できる。変化の大小にこだわらず、その瞬間ごとの変化を楽しんでほしい。」

最後に、これから就活を控えた学生さんに向けてメッセージをお願いします。

人はどんどん変化できます。より良い方向へ、成長できる生き物です。その変化は大きくなくてもよい。
小さな変化でも、いい方向に変わればそれは成長です。

そして、少しずつでも自分自身が変わっていけば、周りもより良い方向に変わっていくはず。
「自分はもう変わることが出来ない。成長できない。」と考え込まないで欲しいなと思います。

 

変化に対し臆病にならず楽しめば、ハッピーになれるのではないでしょうか。
もしかすると僕のように、会社の方がどんどん変わっていって、結果として良くなるようなパターンもあるかもしれません。

学生の皆さんには、その瞬間ごとの変化を楽しむことができるような考え方を持って欲しいなと思います。

 

最後に

今回、自己分析をより説得力のあるものにするためのツール「モチベ―ショングラフ」を作成するヒントとして、OfferBoxを運営する 株式会社i-plugの代表取締役CEO「中野智哉」のルーツを探るインタビューを実施しました。

インタビューを通じてまとめたモチベーショングラフからも、「生涯前向き」を座右の銘にしているだけあって、感情の起伏は少なく、基本的に「楽しむ」ことに注力をしてきたことがよくわかりますね。

ダイエットの経験が人生最大の転機になるなど、意外な所にルーツが眠っていることは珍しい事ではありません。モチーベーショングラフは千差万別。人それぞれ形が異なるのです。
皆さんも、自己分析にモチベーショングラフを用いる際には、些細な出来事にも目を向けて、より詳細に思い出すことで、これまで気付けなかった自分のルーツが見つかるはず。

この機会に、一度モチベーショングラフの作成に挑戦してみてはいかがでしょうか?